ドイツ旅行 6日目 ザールルイ観光 & コブレンツへ移動

Food

ドイツ旅行も折り返しまして、6日目です。

熱自体はほぼ下がって回復ですが、喉が激しく痛いのは変わらず。とりあえず頑張って咀嚼をしてれば食事はなんとかできました。

ホテル リターモント出発の準備

リターモントの朝食です。新鮮な野菜の栄養が身体に沁み入る😭。そしてサーモンが美味しい。
フルーツや野菜で栄養を補給しようとたくさん食べました
朝焼けも綺麗でした
すぐ近くに製鉄工場があるので、そこの煙が見えます

母達はドイツの方達と一緒にホテル近くの山にハイキングに行ってる間、一人でホテルの周りをうろうろしてました。

ホテルの敷地内にはビアガーデンの会場もあります。ここで水を買い足して飲んでました
同じく、ボーゲンの練習場もあります

ホテルの裏手です。一番上の階の、右から2番目の部屋に泊まっていたことになります。

ザールルイの中心部へ

母の友人は1泊ほどホームステイをさせていただいてて、そこのお家の方がホテルから駅まで乗せて行ってくれました。ホテルに来るときはディリンゲンという駅からだったんですが、ザールルイの観光もしてみたいということで、帰りはザールルイの中央駅へと向かいました。

途中でそのホストファミリーの方のお家にも寄らせていただき、色々とお土産をいただきました!

庭に綺麗な花がたくさんあったり、綺麗で素敵なお家でうらやましかったです🏠

ザールラント名物のザールポリゴンが近くなってきました。ホテルの部屋からの写真にも小さく写っていたんですが、遠かったのでちょっとわかりにくかったかも?このブログの5枚目の写真をよ〜く見ると写ってます。

ザールポリゴン(Saarpolygon)は、ドイツ・ザールラント州にある現代アートの一形態として、観光名所にもなっている大規模なモニュメントです。ザールラント州の南部、ヘルツィング(Herzlingen)という地域の標高600メートルの丘に位置しています。

ザールポリゴンの特徴
  • 形状とデザイン
    ザールポリゴンは、名前の通りポリゴン(多角形)の形をした巨大なアートインスタレーションです。その形状は、見る角度によって異なる印象を与えるように設計されており、角度や距離によって姿が変わる特徴があります。モニュメントは、高さ約30メートル、長さ約70メートルの大きさで、鋼鉄で作られています。
  • 設計者
    ザールポリゴンは、デンマークのアーティストであるトーマス・ライム(Thomas Rørdam)によってデザインされました。彼のデザインは、周囲の自然環境と調和し、見る角度や季節によって姿が変わるように意図されています。
ザールポリゴンの意味と象徴
  • 自然と人間の調和
    ザールポリゴンは、自然と人間の技術や文化との調和を象徴しているとされています。ポリゴンの形状が、ザールラントの地形や歴史、特に炭鉱業と密接に関係しています。この地域は、かつて活発な炭鉱の中心地だったため、ザールポリゴンはその産業の歴史とも結びついています。
  • 「見る角度による変化」
    ザールポリゴンが見る角度によって形を変えるのは、物事の多面的な視点や変化する社会的・歴史的な状況を表現しているとも解釈されています。また、訪れる人々に新たな視点を提供し、地元の自然や景観とのつながりを感じさせる役割を果たしています。
まとめ

ザールポリゴンは、単なるモニュメントとしてだけでなく、アートとしてのメッセージを持った、見る角度によって変化する特徴的な構造が魅力的です。ザールラントの歴史と自然、そして人間の創造力を表現したこの作品は、地域の新しい観光名所として広く認識されています。

ザールルイ中心部の観光

電車がくるまで時間があったので、ホストファミリーのご夫婦からザールルイの案内をしていただきました。

英語で解説してくれるのでめっちゃありがたかったです😭

ザールルイ(Saarlouis)は、ドイツ・ザールラント州に位置する都市で、興味深い歴史を持っています。特にフランスとの関わりが深く、その歴史的な背景はフランス革命やフランスの軍事戦略に大きく影響を受けています。

ザールルイの起源と設立
  • 設立
    ザールルイは、1680年にフランスのルイ14世(ルイ・カトリック王)によって設立されました。ルイ14世の命により、フランスの領土拡大の一環として、ザール川沿いの戦略的に重要な場所に要塞都市が建設されました。この都市の名前「ザールルイ(Saarlouis)」は、文字通り「ルイ王のザール」に由来します。
  • 目的
    ザールルイは、フランスの国境防衛の一環として、ザール川を越えてドイツの領土に進出するための拠点として設立されました。都市は軍事的な要塞として作られ、フランス軍の兵士や防衛設備が配置されました。
フランス時代と要塞
  • フランスの要塞都市
    ザールルイは、フランス軍による要塞都市として特に有名で、フランスの軍事戦略の一部として利用されました。都市の設計は、当時の著名な軍事建築家**ヴォーバン(Vauban)**の手によるもので、要塞の周囲には堀や城壁が築かれました。
  • フランス革命とその後
    ザールルイは、フランス革命(1789年)後もフランスの支配下にありましたが、ナポレオン時代にはその軍事的な重要性がさらに増しました。フランス革命の影響で、都市はフランス革命の理念に基づく改革が行われ、フランス文化が色濃く反映されました。
プロイセンとドイツ帝国の時代
  • 1800年代初頭
    1815年、ウィーン会議の結果、ザールルイはフランスからプロイセンに移管されました。この時期、ザールルイはプロイセン王国の一部として、軍事基地として利用される一方で、商業的にも発展しました。
  • ドイツ帝国の一部に
    1871年、普仏戦争の結果、ドイツ帝国が成立し、ザールルイはドイツの一部となりました。しかし、フランスとの関係は依然として重要で、ザールルイはしばしばドイツとフランスの境界となる地域であったため、両国の文化的影響が交差する場所となりました。
20世紀と現代のザールルイ
  • 第1次世界大戦と第2次世界大戦
    ザールルイは、両世界大戦の影響を受けました。特に、ザール地方は戦争中に何度も戦場となり、地域の発展に深刻な影響を与えました。
  • サール地方の国際化
    第1次世界大戦後、ザール地方は国際連盟によって管理されることになり、1935年に住民投票を経て再びドイツに帰属しました。この時期、ザールルイはフランスとドイツの間で重要な歴史的な地点となり、国際政治における象徴的な都市でもありました。
  • 第二次世界大戦後
    戦後、ザールルイはフランスによって一時的に占領され、1947年にフランスとの関係が深まる中で、ザール地方はフランスとドイツの間で揺れ動く時期を迎えました。1957年、ザール地方は再びドイツの一部として確定し、現在のザールラント州が形成されました。
現代のザールルイ
  • 観光と文化
    現代のザールルイは、フランスとドイツの歴史的影響を色濃く受けた文化都市です。観光名所としては、ザールルイ要塞や古い市街地があり、地域の歴史を学ぶことができる場所となっています。特に、フランスとドイツの文化が融合した独自の雰囲気を持ち、観光客を引きつけています。
  • 経済と産業
    ザールルイは、かつての軍事的な要素から、現代では産業と商業の中心地としても発展しています。自動車産業や製造業が重要な経済の柱となり、周辺地域の経済成長にも寄与しています。
まとめ

ザールルイは、フランスとドイツの歴史的な境界に位置し、両国の影響を受けながら発展してきた都市です。フランス王ルイ14世によって設立され、その後の歴史を通じて数度の領土変更や戦争に巻き込まれましたが、現代では豊かな文化と産業を誇る都市として、両国の歴史を物語る重要な場所となっています。

街の中心部には教会があります。聖ルートヴィヒ教会というもので、バロック様式の綺麗な教会です。
中は改修工事がされて、コンクリート造りの壁になってました。

お話によると、第2次世界大戦の時に空襲でザールルイの中心部はかなりの被害を受けたらしく、その後に修復されたらしいです。

フランスとドイツの国境近くに位置していたのもあって、戦略的に重要な土地だったのだとか。

聖ルイを象徴するシンボルが多く使われているとあったんですが、これらがそうなのかな?

少し近代的なステンドグラスです。これまで見てきた教会とはちょっと雰囲気が違う感じがします。

パイプオルガンでかい!!

またまたアイスをご馳走になりました🙏

街を散歩しながら車へと戻ります

日曜日なので普通のお店はお休みです。レストランやカフェなどは開いてるところもあります。

ザールルイの要塞の周りのお堀ですね。ものすごい量の藻が浮かんでいます。

エンジニアなので見たことある単語「Bastion」があった!上の絵を見ると、なんだか日本のお城のお堀にも見えてきますね。要塞としての発想はどこも一緒なのかもしれない。
今は別に軍事施設とかに利用されてるわけではなく、公共の場として賑わってました。オクトーバーフェストの時期だからですかね。
所々に観光ガイドがありました。市役所に行くと紙の観光パンフレットももらえるみたいです。

いろんな方にお世話になりました。みなさんありがとうございます。

コブレンツへ移動

ザールラントからモーゼル川に沿ってずっと電車に乗り、コブレンツへ向かいます。

コブレンツはモーゼル川とライン川が合流する地点に栄えた街です。

モーゼル川周辺はワインの産地として有名で、車窓からも葡萄畑がたくさん見えます。

ワイン大好きなので時間が許すのであればワイナリーを回って試飲しまくりたいです。

川沿いの街の景色がなんとも言えず好きです。こういうところにのんびり来る旅行もいいのかもしれない。
所々に古城跡も見えます

ものすごい角度の丘陵にびっしりとワイン用の葡萄畑があって、感動しながら眺めてました。

コブレンツ到着

ホテルに荷物を置いて、川沿いを散歩してきました。

ホテルは駅から徒歩で15分くらいでしたが、ドイチェス・エック(ドイツの角)との中間地点なので、観光にはちょうどいいところでした。

モーゼル川沿いに歩いて、ドイチェス・エックを目指します
船の上で食事をすることもできるようになってました。モーゼル川もライン川もクルーズをやってるそうなので、時間があればそういう移動も楽しそうです。

人がいるのかと思ってビビった

ドイチェス・エックに到着しました。これが「ヴィルヘルム1世の騎馬像」です。せっかくなので登ってきました。

騎馬像からの眺め

ドイチェス・エック(Deutsches Eck)は、ドイツ・ラインラント=プファルツ州のコブレンツ(Koblenz)にある、モーゼル川とライン川が合流する地点に位置する象徴的な場所です。名前の「ドイチェス・エック」は「ドイツの角」を意味し、ドイツ統一の象徴として知られています。

ドイチェス・エックの歴史

騎士団と中世の始まり
  • 騎士団の拠点
    1216年、ドイツ騎士団(Deutscher Orden)がコブレンツに拠点を置いたことが、この地名の由来です。ドイツ騎士団は、中世のキリスト教騎士団で、十字軍や東ヨーロッパでの活動を通じて知られています。ドイチェス・エックは、彼らの修道院と病院が設立された場所でした。
帝国時代とヴィルヘルム1世の騎馬像
  • ヴィルヘルム1世像の建立
    19世紀末、ドイツ帝国の初代皇帝ヴィルヘルム1世の功績を称えるため、1897年に巨大な騎馬像がドイチェス・エックに建てられました。ヴィルヘルム1世は、1871年のドイツ統一の立役者であり、この像は統一ドイツの象徴となりました。
  • モニュメントのデザイン
    騎馬像の高さは約14メートル、台座を含めると約37メートルの巨大な記念碑で、ドイツの統一と皇帝への敬意が込められています。
第二次世界大戦と像の破壊
  • 戦時中の破壊
    第二次世界大戦中、1945年に連合軍の空襲によって騎馬像が破壊されました。その後、台座だけが残され、「ドイツの分断と再統一」を象徴する場として使われました。
再統一と復元
  • ドイツ再統一後の復元
    1990年のドイツ再統一を記念し、1993年にヴィルヘルム1世の騎馬像が再建されました。この復元は、ドイツの統一と歴史的遺産を尊重する象徴的なプロジェクトでした。

ドイチェス・エックの見どころ

  1. ヴィルヘルム1世の騎馬像
    再建された騎馬像は、ドイツの歴史的遺産を象徴し、訪れる人々に統一と平和の重要性を思い起こさせます。
  2. ドイツ連邦州の旗
    台座周辺には、ドイツ連邦の各州の旗が掲げられています。これはドイツの多様性と統一を象徴しています。
  3. ライン川とモーゼル川の合流点
    ドイチェス・エックは、2つの大河が合流する壮大な景観を楽しめる絶好のポイントで、多くの観光客が訪れる場所です。船上からもこの景色を眺めるクルーズツアーが人気です。
  4. エーレンブライトシュタイン要塞(Festung Ehrenbreitstein)
    ドイチェス・エックからロープウェイでアクセスできるこの要塞は、ライン川を見下ろす丘の上にあり、歴史的な軍事要塞としての役割を果たしてきました。

まとめ

ドイチェス・エックは、ドイツの歴史的な転換点を象徴する重要な場所で、特にドイツ統一のシンボルとして知られています。その壮大な景観と歴史的背景は、ドイツの過去と未来を結ぶ象徴として、多くの人々に感銘を与えています。

対岸にエーレンブライトシュタイン要塞が見えます。次の日にロープウェイで要塞まで行って観光してきました。

夕日で照らされるモーゼル川が綺麗です
ドイツの方はテラスで食事をするのが好きみたいです
Frühというお店で夜ご飯です。ケルシュビールが名物です。ただまだ喉が全回復してなくて(そんな時にビールを飲むなという話ですが)ビールのピリピリ感がめっちゃ痛かったです。確かノンアルにしたはず。

ケルシュビールの特徴

  • 上面発酵:エールタイプのビールで、通常のラガーよりも高温で発酵されます。
  • 味わい:軽やかでフルーティーな香りと、すっきりとした後味が特徴。
  • 提供方法:ケルシュビールは伝統的に「シュタング(Stange)」と呼ばれる200mlの細長いグラスで提供され、何度もお代わりするのが一般的です。ビールを飲み終えると、自動的に新しいグラスが提供されるのもユニークな文化です。
シュニッツェルを注文しました。とんかつみたいな感じです。キノコクリームソースが美味しい。
母はカリーブルストでした

現地の人は半袖の人もいましたが、夜になってくると流石に寒くてウインドブレーカーは必須でした。

喉が痛いと料理を思う存分楽しむことができなくてもどかしかった記憶。ここにきて解熱剤がなくなりそうな気配を見せていて、次の日の朝一番で薬局に行くことを計画します。

日本でいうところのマツキヨみたいなドラッグストアも現地にはあるんですが、そういうところではトローチだったりビタミン剤くらいしか売っておらず、処方箋不要で医薬品が買えるタイプのドラッグストアはまた別のお店としてあります。

そこそこ回復の兆しが見えてきたので、少しホッとしました。

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