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卒業からと、これからと

高校のクラス会を開催しました。クラス会といっても地元開催ではなく、気まぐれで急に声掛けをしたのもあって東京近郊にいて来れそうな人で予定合わせをして開催しました。

たまに会っていた人もいれば、高校の卒業以来会ってなかった人とも会えました。

「なんか変わったなぁ」「一瞬誰かわからなかった」とか、逆に「全然変わってないぁ」みたいなセリフが自然と出てしまうと、月日の経過を感じます。

でも、それだけ高校の時のことをまだしっかりと覚えてもいるんだなということも改めて気づきました。

大学生の時の思い出も社会人になってからの思い出もたくさんありますが、それでも高校生の時のことを忘れずにいることを実感すると、高揚感と嬉しさが交じったような気持ちになります。

話題は大学のこと(同級生には院生や医学部生が多いので、まだ大学に在籍してる人も一定数います)だったり、仕事のことだったり、同級生の誰々が結婚したとか今はどこどこに住んでるとかそういうありふれた話題で盛り上がりました。


田舎となると、工業高校ならここ、女子校ならここ、一番の進学校ならここ、というふうに進路選択の幅というものはそれほどないため、基本的に高校生として地元にいるうちはみんなのバックグラウンドというものはそれほど大きな差はありませんでした。大学進学と同時に地元を飛び出して日本全国に散らばって、それぞれ大きく分岐した人生を歩み始めるスタートを一緒に切るのが高校のクラスメイトです。

今の自分達の年代からして、高校を卒業してからこれまでの期間というのは人生の中でも特筆したスピードで大きな変化を経験した期間です。だからこそ、その大きな変化を経験する前の期間を共有した人たちと会って話すことに対し、普段とは違うけども非日常感とも言えない、複雑で特別な思いになるのはきっと私だけでもないと思います。

まだ高校生か中学生のころ、親が「(自分が)高校を卒業してから、大学でも会社でも『友達』はできたけど、高校の時の友達はそれらとはまた違って、特別なつながりだなと思う」みたいな話をしていたのを覚えています。親に比べたら年数は浅くとも、同じ感覚なんだろうなと思います。


同じ話でも、今になって視点が変わったなと感じることがありました。

例えば、医者を目指して医学部を志望していた友達がいて、高校の時は「医学部ってすごいなぁ、いつもお世話になってるような〇〇医院の先生みたいな感じで働くのかなぁ」と想像していました。そんな同級生が春からは研修医として、実際の医療の現場に立ちます。

また別の例では、日本の人なら大体の人が知ってるような大企業や官庁に進んだり、CMでよく聞く名の知れた企業に進んだりしています。

あんなにふざけてゲラゲラ笑い合ってた同級生が??

高校の時にはぼんやりしていた遠い将来への志望というものを、同級生が着実に歩んで実現していくことで、実はもともとそれほど遠くなかったんだな、と感じるようになりました。別にその行程が簡単だったとかではなく、高校生の時には実感できなかったものが、より現実味を帯びて感じれるようになったという意味合いです。

世間の大多数のイメージだと、公務員は安定志向の人が多いだとか、お医者さんは真面目だとか、そういった一方向の印象が先走りしていることがよくあります。でも自分が一緒に長い時間を過ごした同級生がいざその職業に就くと知ると、そういった印象に対して違和感しか覚えなくなります。

もちろんイメージと全くの逆というわけではなく、そんな偏ったイメージでは表現しきれない部分が実はたくさんあったんだなと改めて気付かされたと表現するのが最適なのだろうと思います。

きっとこれからもいろんなことに対して、同じように感じる機会が増えていくのかなと思います。


数年後にまた再開したらきっと同じような会話を繰り返しつつ、新しい出来事の話でも盛り上がり、次また会うことを楽しみにしてそれぞれの日常に戻るのかなと思います。

変わらないことを美徳とする場面もありますが、今はこうした経験を経て、”変わっていくこと”がとても楽しみです。

おそらくその時に今ここに書いたことを読み返したら恥ずかしさも感じつつ、きっとより深く共感できることもあるだろうなと想像しています。

今回は三次会で終電過ぎまで語って飲んで、一睡もせずに朝まで友達の家で映画をみた後にラーメンを食べて帰宅しましたが、次回の自分は同じだけの体力があるのかどうか、乞うご期待です!

始発前の車両基地
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