
3日目の朝も綺麗な空でした。
ホテルをちゃんと紹介してなかったので、Google Mapを貼ります。
中央駅からは少し離れますが、コスパがめっちゃいいです。
ホテルで朝食
2日目は朝食を取り終えた後の写真しか撮ってなかったので、3日目はちゃんと並んでるところを撮りました。





ハイデルベルクへ出発

シュトゥットガルトからハイデルベルクは1時間もかからないくらいの近さです。
ゆっくり観光したかったので、ハイデルベルクで宿をとるという選択をしました。次の日にザールラント州に移動するのも考えると、ハイデルベルクの方が効率もいいです。



ホテルに荷物を預けた後は、すぐに近くのトラムに乗って旧市街地の方へ向かいました。中央駅から旧市街までは2km弱離れてるので、徒歩だとちょっとめんどくさいです。


ビスマルク広場


ビスマルクさんがどんな人かわからなかったので調べてみました
ハイデルベルクのビスマルク広場(Bismarckplatz)は、ドイツ帝国初代宰相であるオットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck, 1815–1898)にちなんで名付けられています。彼は19世紀後半のドイツ統一を成し遂げ、「鉄血宰相」とも呼ばれました。
彼の主な功績:
- ドイツ統一:1871年、普仏戦争の勝利を経てドイツ帝国が成立し、ビスマルクは初代宰相に就任。
- 鉄血政策:外交と軍事力を駆使し、強力な国家を築くという現実主義的な政策。
- 社会政策の導入:労働者保護のため、年金制度や健康保険制度などの社会福祉政策を導入。
ビスマルク広場は、ハイデルベルクの交通の要所であり、多くの人が集まる場所です。ビスマルクのようなドイツ統一の象徴的な人物に敬意を表して名付けられました。
哲学の道へ
いきなり旧市街へは入らず、まずはハイデルベルクを2分するネッカー側の対岸にある「哲学の道」へ向かいました。







実を言うとこの日、朝から体がだるくて不調でした。一応日本から持って行った解熱鎮痛剤があったのでそれを飲んで誤魔化してました。
ただ、やはり身体は正直なもので坂道をはぁはぁ言いながら登るのは結構こたえたみたいで、発熱も相まって結構汗が止まらなくなってました💦
それでもここで諦めたくないという謎の意地が働いて、この日一日は目一杯観光しました。




哲学の道についての解説です↓
ハイデルベルクの哲学の道(Philosophenweg)は、その名の通り、哲学者や学者たちが好んで散策したことに由来しています。
名前の由来と背景:
- ハイデルベルク大学はドイツ最古の大学で、特に哲学や人文学の分野で名高い歴史を持っています。
- この道は、ネッカー川の北側斜面にあり、ハイデルベルク城や旧市街を一望できる絶景の散策路です。その静かな環境と美しい景色が、思索や議論を深めるのに適していたため、大学の教授や哲学者たちが散歩しながら議論を交わしていたと伝えられています。
魅力:
- 道沿いには植物が豊富で、地中海性植物も見られるほど温暖な気候。
- 丘の上からの眺望は、詩人や哲学者だけでなく、多くの観光客を魅了しています。
こうした歴史と雰囲気から、「哲学の道」と名付けられ、今でも静かな思索の時間を求める人々に愛されています。















ハイデルベルク旧市街の散策









聖霊教会の外側には、本を売る小さな屋台が並んでいたことから「壁の本屋」という伝統が生まれましたとか。この名残で現在も教会周辺では書籍や古本を売る店があるそうです。ちゃんと見ないまま通り過ぎてしまいました。




ハイデルベルク大学の博物館

ハイデルベルク大学の博物館(Universitätsmuseum Heidelberg)は、ドイツ最古の大学であるハイデルベルク大学の豊かな歴史と学術的伝統を紹介する施設です。大学の正門である「オールド大学(Alte Universität)」の建物内に位置し、訪問者は大学の過去から現代までの歩みを知ることができます。
主な展示内容:
- 大学の歴史と発展
1386年に創立されたハイデルベルク大学の歴史を、設立から現代まで年代順に展示。中世の講義風景や学生生活、宗教改革や戦争の影響など、歴史的な背景を学べます。- 学生文化と伝統
特に有名なのは、学生の伝統や文化に関する展示。学生団体や独自の儀式、19世紀の学生生活を伝える資料が豊富に揃っています。- 著名な教授・卒業生
大学にゆかりのあるノーベル賞受賞者や著名な学者、哲学者についての紹介もあります。たとえば哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルや作家カール・ヤスパースなど。見どころ:
- 旧大学講堂(Aula der Alten Universität)
美しいバロック様式の内装が特徴で、現在でも式典や特別イベントが行われる場所です。- 学生牢(Studentenkarzer)
かつての学生牢も見学できます。17世紀から1914年まで、大学内で規律を乱した学生が短期間収容されていた場所で、壁には学生たちが残した落書きや絵が今も残り、学生文化の一端を垣間見ることができます。







学生牢

ハイデルベルク大学の学生牢(Studentenkarzer)は、17世紀から1914年まで、大学内の規律を乱した学生を一時的に収容するために使用されていた場所です。これは、ドイツの他のいくつかの大学でも見られる独特な制度で、学生自治と大学の独立性を象徴する施設でもありました。
学生牢の背景と役割
- 自治の象徴:当時、大学は独自の司法権を持っており、軽微な違反や騒動を起こした学生を市の司法機関ではなく大学が裁くことができました。そのため、規律違反に対する処分として学生牢が設けられました。
- 収容理由:騒音や飲酒騒ぎ、夜間外出禁止違反、決闘など、今日でいう「学生らしいやんちゃ」が主な原因でした。特に、飲酒や学生組合(Burschenschaft)の活動によるものが多かったようです。
学生牢の特徴
- 場所と構造
学生牢は、旧大学(Alte Universität)付近の建物内にあり、数部屋から構成されます。独房はシンプルで、ベッド、机、椅子など最低限の家具が備えられていました。- 壁の落書き
最も有名なのが、学生たちが牢内で残した落書きや絵です。学生生活を象徴するユーモアや皮肉が詰まったこれらのアートは、大学生活の記録として非常に貴重です。たとえば、紋章や自画像、風刺画などが描かれています。- 収容期間
収容期間は数日から1週間程度が一般的で、学生たちはここでの時間をむしろ誇りとすることもありました。友人が訪れたり、食事や飲み物が差し入れられたりすることも許されていました。現代の学生牢
現在、学生牢は観光名所として一般公開されており、ハイデルベルク大学の歴史や学生文化を知ることができる人気の観光スポットです。訪れる人は、かつての学生たちのユーモアと大学生活の一端を感じられるでしょう。







旧市街地の通りを歩いてビスマルク広場へ





第二次世界大戦中、ハイデルベルクは爆撃の被害をほとんど受けなかったため、歴史的建造物がほぼ無傷で残っています。これは、連合軍がハイデルベルクを文化的価値の高い都市とみなし、爆撃の対象外としたためとされています。







ホテルへ帰還
旧市街の美しい街並みを堪能したところで、トラムに乗ってホテルへと戻りました。











この日の夜は今回の旅行の中で一番苦しみました🤒
結構な高熱が出てたらしく、めっちゃ汗をかいて1時間半おきくらいに目が覚めて水を飲んでました。かなりフラフラしてた気がします。
解熱剤もまだあったものの、異国の地で一人で体調を崩すという心細さを経験しました。常に頭もフル回転しながらの行動が多かったので、きっと疲れが出たんだと思います。
旅行の全行程の1/4しか経過してないのにこの状態で、残りはどうなるんだろうという心配をしてました。でも動くしかないなと思って、次の日も頑張ってます。4日目もよろしくお願いします。